緑の地球ネットワーク
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自然条件

地形

 大同市の北部は桑干河流域の大同盆地と黄土丘陵でなりたっています。山腹や丘陵の斜面には段々畑が切り開かれ、夏の雨によって刻まれたガリ=浸食谷が縦横に走ります。
 大同市の南部は、太行山脈とその支脈・恒山山脈とからなる山地と、黄土丘陵とが入り組んでいます。山に木はなく草もまばらで、土壌が失われて岩盤の露出しているところが多くみられました。ここに木が植えられたのは最近のことです。
 大同市全体でみれば、盆地、丘陵地、山地がそれぞれ3分の1ずつの割合です。
 水と土が集まる盆地には人口、経済、文化が集中し、政治の中心でもあります。その逆に、山地や丘陵の高いところは、土がやせ、飲み水にさえ困る状態で、貧しい農村が多く、近年は過疎化がすすんでいます。

 

気候

photoキビが膝丈で実った、この年もひどい旱魃だった

 大陸性の温帯モンスーン気候に属し、年平均気温は6.4℃ほどですが、いちばん寒い1月の月平均気温が-11.3℃(平均最低気温は-17.0℃)、いちばん暑い7月の月平均気温は21.8℃(平均最高気温は28.1℃)です。
 年間降水量は平均400mmほどですが、年ごとの変動が激しく、多い年は650oほどになり、少ない年は200〜250mmに落ち込みます。
 季節的な偏りも大きく、年間降水量の3分の2が6月半ばからの3か月に集中し、植物が芽生え育つ春の雨が極端に少ないのが悩みです。夏の雨は局所集中的な豪雨になることがあり、畑や山の表土を押し流し、水もそこに留まることがありません。中国では「水土流失」と呼びます。水土流失がつづくと、土地が劣化し、作物や植物が育たなくなります。これが黄土高原の砂漠化です。
 無霜期は盆地で130〜140日、山地では90日ほどになります。遅霜の害が少なくありません。
 この地方の民謡に「山は近くにあるけれど、煮炊きに使う柴はなし。十の年を重ねれば、九年は日照りで一年は大水…」と歌われています。協力事業のなかでの私たちの実感でもあります。
 1992年に協力事業を始めましたが、最初の10年、西暦の奇数年は例外なく干ばつでした。とくに1999年は建国いらい最悪の干ばつと呼ばれ、2001年は百年に一度の干ばつと呼ばれました。丘陵の村など天水頼みの畑では蒔いた種ほども収穫できなかったのです。しかし、それ以後は、干ばつはあるもののそれほどひどい年はなくなりました。私たちの植林事業が当初は失敗が多く、のちに順調に進み出したことに、これも影響しているでしょう。
 大水といわれるのは雨による被害で、1995年の長雨では土づくりの住居の屋根や壁に雨水が浸透してつぎつぎに倒壊し、6万世帯24万人が被災する惨事になりました。2003年には実験林場カササギの森の谷に土石流が発生し、下流の村で4人の犠牲者をだしました。
 そのほかの自然災害として、春の暴風や砂嵐があり、ときには死者がでます。夏には集中豪雨のほか、雹や落雷があり、冬には凍害があります。風は年間を通して強く、地元では「1年に1度風が吹く。春に吹きはじめて冬までつづく」と言い伝えています。

 

photo西からの風が黄砂をまきあげ、北京・天津へと運ぶ。上空の偏西風にのると、日本までやってくる

 黄土高原は、西域の沙漠地帯から風で運ばれた黄土が降り積もってできたといわれます。大同は黄土高原の東北端。つまり、最も軽い、細かい土が太行山脈にさえぎられて、数10mから100m以上の厚さに積もった場所です。
 その一部が日本まで届いたものが黄砂で、さらに北米上空でも観測されるそうです。
 黄土は強いアルカリ性で、ミネラルはじめ肥料分に恵まれ、有機質と水を補えば、生産力の高い土です。その反面、粒子が小さく、通気性、通水性が悪くて、植物の生育に障害をおこすこともあります。
 乾燥すると固く締まっていてスコップの刃もたたないくらいですが、耕すとパウダーになり、水が入るとグリス状になって流されてしまいます。夏に集中する雨によって、作物ごと畑が流されることもめずらしくありません。

 

 深刻なのが水問題です。降水量が少ない上に、過剰な汲み上げで地下水が涸れてきています。
 以前は井戸が涸渇し隣村までもらい水に通う村がたくさんありました。一家6人が180リットルの水で1週間生活したそうですから、1人1日4.3リットル。成人が1日に必要な水は3リットルだそうですから、人間が生存する限界に近い量です。
 そのような村の井戸掘りに私たちも協力したことがあります。大同県遇駕山村の通水式では、それを祝って村の人が輪になって踊りましたが、最初は笑顔だったのに、やがてすすり泣きがはじまり、そのうちに皆が泣きだしてしまいました。水の苦労はそれほど重いのです。その村が山西省で最後に残った飲み水に困る村だったのです。