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歴史

photo460〜494年ごろ(北魏)につくられ、約51000体ともいわれる石仏がいまに残る。UNESCOの世界遺産

 歴史の長い中国においても、大同は名だたる歴史をもっています。
 陽高県の許家窯遺跡は、10万年前のものといわれています。漢代(前206〜紀元8、25〜220)には高祖・劉邦が匈奴に包囲され命からがら逃げ延びた白登の戦い(前200年)の舞台となりました。
 4世紀末には鮮卑族の拓跋珪が北魏(386〜534)を興して、398年都を今日の大同におきました(平城京)。それから洛陽に遷都する494年までおよそ1世紀。最盛期には100万を超える人口を擁し、中国最大の繁栄した都市であったといわれます。
 北魏は漢族をはじめとする諸民族の融和と支配のために仏教を重んじました。ユネスコの世界遺産に指定された雲崗の石窟や北岳恒山の懸空寺はその遺産です。

photo崖にへばりつくように建つ渾源県懸空寺は5世紀末の創建。「壮観」の文字は李白が書いたと伝えられる

 それほどの文明が荒涼とした木のない大地に成立したでしょうか?
 『水経注』、『雲中郡志』などは、北魏時代の大同を草木が生い茂った秀麗なところとして描き、都のなかには大きな池や用水路がつくられ、清らかな水が流れるようすを書いています。
 『山西通志(第9巻)林業志』(山西省地方志編纂委員会編・中華書局出版・1992年7月)は山西省の森林被覆率の歴史的な推移を次のように推定しています。秦(前221〜前206)以前:50%、唐(618〜907)宋(960〜1127):40%、遼(916〜1125)元(1271〜1368):30%、清(1616〜1912):10%未満、中華人民共和国成立時(1949):2.4%。
 ずっと以前の黄土高原にかなりの規模の森林があったことはまちがいないようです。

 

photo中国に現存する最大最古の木造建築物、応県木塔(仏宮寺釈迦塔)

 大同の南、応県に現存する世界最大規模の高さ67mの木塔(仏宮寺釈迦塔、1056年)には、その近くで伐られたカラマツやニレの巨木が用いられています。また明代の北京の紫禁城(故宮)建設にあたり、大同よりさらに西の呂梁山脈から木材が運び出されたことを示す記録も残っています。
 それが今日の姿に変わった原因として、人為的な要因を否定することはできません。都市の成立による人口の集中、食糧生産のための森林破壊と耕地の造成、レンガ焼成や金属精錬のための森林伐採、生活燃料としての柴の利用、過剰な放牧、繰り返された戦火などが、森林を消滅させ、今日の姿の黄土高原をつくりだしたのです。

 日中戦争でも大きな被害がありました。1937年、蘆溝橋事件の直後から、日本軍は「山西作戦」を展開し、交通の要衝である大同にも攻め入りました。各地で抗日の戦闘がおこなわれ、多くの犠牲者を出しましたし、破壊された森林も少なくありません。
 石炭の産地であったことも災いしました。日本軍の占領後、各地から大同炭鉱に集められた労働者は、過酷な労働と栄養不足、不衛生などによって6万人が犠牲になり、「人命をもって炭にかえる」といわれました。その遺骸が廃坑に投げ込まれ、万人坑となりました。そのような場所が大同には20余りもあります。戦時の記憶は、いまもなおこの地方に根強く残っているのです。
 中国は1950年代、荒れはてた国土をよみがえらせようと熱心に植林に取りくみました。大同にもポプラがたくさん植えられました。ところが、水をたくさん必要とするポプラは、成長にしたがって周囲の木と水を奪い合うようになりました。旱魃の年には水不足で先枯れをおこします。次の年には別の枝が枯れた幹の代わりに伸び、また旱魃で枯れてと、そんなことを何度もくりかえしてねじまがったり、ひこばえでブッシュのようになったり。木材としての役割も期待されていたのに、なんの役にもたたないひねこびたポプラの林……地元の人は「小老樹」と呼びます。

 

photo曲がりくねったポプラ(小老樹)の林と、その手前で草をはむヒツジたち

 その小老樹も、毎年葉や枝を落として土を肥やしてきました。小老樹を伐った跡地はいい畑や果樹園になるのです。緑の地球ネットワークの緑化基地も、小老樹の林の跡地です。
 20世紀が終わろうとするころ、中国は緑化に力を入れはじめました。『退耕還林・還草』をかかげ、急傾斜地の段々畑の耕作を止めて林や草地に還そうとしたのです。過剰な森林伐採が原因とみられる水害が頻発したことなどが、経済優先の考え方をあらためさせました。
 大同でも、猛スピードで緑化がすすみました。ただ、病虫害に弱い、単一樹種による一斉造林ばかりです。GENは、マツを植える場合も、ヤナギハグミやムレスズメなどをいっしょに植えて、土壌の改善と病虫害の予防をはかっています。さらに、地元に自生するナラ、トネリコなどの落葉広葉樹を造林に生かせないか、試験栽培をおこなっているところです。
 面積は小さくても、50年、100年後にも残る森づくりをめざしています。