大同での緑化協力
黄土高原の東北端に位置する山西省大同市で、1992年から2016年まで、25年間緑化協力活動を行いました。 1999年ごろから中国もこの地域の緑化を推し進め、新しく植える場所がみつからなくなったため、 2017年度からは東隣の河北省張家口市蔚県に活動場所を移しました。 新規植林事業は終了しましたが、スタディツアーが旧センターや南天門自然植物園、かつての造林地を訪れるなど、交流は続けています。
山西省大同市基礎データ
【面積】約14,200平方km
【人口】約332万人
【位置】北緯40°、東経113°付近
【気候】年平均気温5.5℃、年間降水量400mm
【地形】黄土高原の東北端にあたり、標高は900~2400m程度。
北部~中央部は黄砂が堆積した黄土丘陵と盆地、東南部は恒山山脈と太行山脈。
石炭の産地だが、再生可能エネルギーへの転換にともない中小の炭砿は閉山した。
自然条件
降水量が少なく、最低気温は-10℃以下、最高気温は30℃以上と、気温差が大きいため、生育する植物は限られます。
また、このあたりの土壌、「黄土」は粒子が細かく乾くとがちがちに固まり、水が入るととろりと溶けて流れてしまう、やっかいな土です。
植物は根でも呼吸をしていて土中の通気性が必要ですが、黄土を踏み固めて植えると空気が通わず窒息して枯れてしまいます。
木を植えるとき固く踏み固めない、砂や炭などを一握りいれて通気性を確保する、など工夫して植えました。
また、少ない雨は夏の3か月間に集中します。
時間雨量が70ミリといった集中豪雨が珍しくなく、そうした雨が緑被の少ない地面をたたき、表土を押し流します。
せっかく肥料をいれた畑の表土を流されて畑の収穫量が落ちるので、それを補うためにさらに段々畑を切り開く、その悪循環を断つことは困難です。
水と土が流され失われる、「水土流失」がこの地域の砂漠化を推し進めたのです。
歴史
およそ2000年前、秦代には、大同がある山西省は50%が森林に覆われていたと推定されています。
しかし、時代が下るにつれ、森林は失われ、中華人民共和国が成立した1949年には2.4%になっていたとか。
大同は、5世紀、遊牧民族鮮卑族が建てた北魏の都でした。最盛期の人口は100万人をこえたといいます。
中国の三大石窟のひとつで、ユネスコの世界遺産でもある雲崗の石窟が当時の栄華をいまに伝えています。
豊かな森林がその文明を支えましたが、降水量が少ない地域でそれだけの人口を養うには無理がありました。
都市や長城建設に使うレンガを焼くために木を伐り、畑を作るために山を切り開きました。
降水量が乏しいため、切られた森が自然に回復することは望めません。
見渡す限り茶色の山々が残され、人びとはこの大地の上で、環境破壊と貧困の悪循環のなかで生きてきたのです。
1992年、GENが大同で見たのは、この黄土色の大地でした。
歴史といえば、もうひとつ、忘れてはいけない歴史があります。日中戦争です。
中国有数の産炭地である大同を、日本軍は盧溝橋事件の直後に占領しました。
その際に激しい抵抗にあい、住民を虐殺したところもあります。
また、炭砿では劣悪な条件で坑夫を働かせ、多くの犠牲者を出しました。
抗日の記憶を誇りに生きてきた人たちに協力を受け入れてもらうには実績を築くしかありません。
カウンターパートの共青団の若者たちの奔走や、小学校付属果樹園など独自のプロジェクトで信頼を得て、東日本大震災のときには義援金を送られるまでになりました。
GENの協力①地球環境林
丘陵地や山の中腹にマツなどでグリーンベルトをつくり、水土流失を防ぐプロジェクトです。
植える樹種は、アブラマツ、モンゴリマツが主で、標高が高いところにはカホクカラマツを植えます。
灌木のサージやムレスズメを混植して多様性にも配慮しました。
マツは乾燥に強く瘦せ地を好み、この地方の緑化によく使われる樹種です。
植えた木が成長して立派な林になったいまでは、落ち葉や下枝が燃料になるなど、副次的な効果も発揮しています。
写真はGENの代表的な協力地、大同県聚楽郷采涼山地球環境林です。
GENの協力②小学校付属果樹園
GENが協力をはじめた1992年ごろ、中国の農村部の教育はいまとは全く違いました。
農村の小学校はだいたい4年までで、高学年になると郷・鎮の中心にある大きな小学校に通うか、寄宿します。
村の小学校に入るのが7割、4年を終えるのが5割、高学年にはほとんど進まない、そんな村もありました。
現金収入が少なく教育費が捻出できないうえに、畑仕事や弟妹の世話、ヒツジやヤギの放牧など子どもが労働力でもありました。
それでも男の子はなんとか学校にやりますが、女子は失学する子が多かったのです。
村の荒れ地に果樹園を作ってその収入の一部を教育の改善にあててもらおうと始めた小学校付属果樹園は、たくさんの村で歓迎されました。
多くの場合アンズを植えましたが、干ばつに強いうえに、畑でアワやトウモロコシを作るのに比べて、4~5倍の収入が見込めます。
主に経済面の効果を狙ったプロジェクトでしたが、水土流失を軽減し、周囲の自然林が復活するなど環境面でも好影響がありました。
いまでは教育がすっかり変わり、小学校入学からみんな郷・鎮の中心学校に通っています。遠方の子は寄宿生活です。
教育改善という小学校付属果樹園のひとつの役割は終わりましたが、経済・環境面ではまだまだ現役です。
写真は代表的な協力地、渾源県呉城郷です。四季の姿をご覧ください。GENの協力を契機に独自に植え広げました。
GENの協力③拠点建設・運営
地球環境林、小学校付属果樹園はすべて村のものです。GENが勝手に好きな木を植えるわけにはいきません。
造林樹種の多様化のために、いろいろな木を集め、育てて試してみたい。高品質の苗木を安定して入手したい。地元の技術者を育てたい。
大同市全域に散らばったプロジェクトを統括管理する場所が必要だ。
そのために、いくつかの拠点を作りました。
- 地球環境林センター(1995~2011。口泉植物園建設のため退去。苗木、機能は緑の地球環境センターに移転)
大同市南郊区。苗圃、見本園、実験・研修・宿泊施設 - 南天門自然植物園(1999~2016。地元政府に移管)
霊丘県上寨鎮。自生樹種の収集・栽培、標本作成、測定記録、技術者の育成 - カササギの森(2001~2016。地元政府に移管)
大同県聚楽郷。自生樹種の収集・栽培。丘陵地緑化。花木の栽培。 - 白登苗圃(2004~2011。工業団地建設のため退去。苗木、機能は緑の地球環境センターに移転)
大同県周士庄鎮。針葉樹苗圃。 - かけはしの森(2006~2011。工業団地建設のため退去。苗木、機能は緑の地球環境センターに移転)
大同県周士庄鎮。実験果樹園。 - 緑の地球環境センター(2011~2016。大同市総工会に移管、職業訓練センターとして活用)
大同県周士庄鎮。苗圃、見本園、実験果樹園。
カウンターパート
共青団大同市委員会(1992~2003)
大同市総工会(2003~)
※カウンターパートの組織内にGENの活動を専門に行う緑色地球網絡大同事務所を設置(1994)、担当人員を固定して事業を遂行した。
2003年のカウンターパート変更にあたっては、人員ごと大同事務所を移籍し、継続を可能にした。