リヤドで出会ったもの、感じたこと(3)サウジ国立博物館で学ぶアラビア半島の自然・歴史・文化 by 原裕太(GEN世話人、東北大学助教)

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サウジアラビア・リヤド訪問記の第4弾として、サウジ国立博物館をご紹介します。
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写真1.アル・ムラッバ宮殿の外観と内部

サウジ国立博物館は、首都リヤドに位置する国内最大規模の総合博物館です。サウジアラビア建国100周年を記念して1999年に開館しました。敷地内には、初代国王が1938年に建て、崩御するまで暮らしたナジド様式の「アル・ムラッバ宮殿」があり(写真1)、現在は歴史的建造物として見学できます。博物館の館内はアラビア半島の自然史・自然環境、イスラム以前の古代史、イスラムの台頭、そして第一次サウード王国からサウジアラビアの建国に至るまで、多くの常設展示室で構成されていました(写真2)。今回は、個人的に特に興味深かった展示を3つご紹介します。

写真2.サウジ国立博物館の様子。右上は石油の形成についての地質学的展示。

1つ目は自然環境についてです(写真3)。サウジアラビアといえば一面の砂漠をイメージしがちですが、実際には多様な景観が広がっています。「緑の地球マガジン」UNCCD COP16の回では、マングローブを食べるヒトコブラクダの様子をご覧頂きましたが、紅海やアラビア湾(ペルシャ湾)の沿岸にはマングローブ林や大規模なサンゴ礁が分布しています。また、南西部のサラワット山脈とその山麓にはモンスーンがもたらす降雨によって森林や段々畑が広がり、この地の農業は「サラワット山脈の農村文化景観」として世界遺産暫定リストにも掲載されています。以前、サウジアラビア政府が打ち出した大規模緑化計画もご紹介しましたが、これも自然条件の砂漠を無理やり森林にするというものではなく、本来あった土壌や生態系の回復を主眼に置いています。

写真3.サウジアラビアの地形と生態系に関する展示

2つ目は、7世紀後半の「ムアーウィヤのダム(Muawiya Dam)」の模型です(写真4)(Google mapリンク)。聖地・メディナ近郊の渓谷(ワジ)に建設され、鉄砲水の洪水防止と水資源の確保、農業利用を目的としていたようです。長さ約40m、高さ約20mに及ぶ石積みの構造は、当時としては非常に高度な土木技術で、水にさらされる上流側の表面には漆喰が施されています。建設されたのはウマイヤ朝初期、政治指導者で預言者であるムハンマドによるアラビア半島の統一、ムスリムによる互選で指導者を選んでいた正統カリフ時代を経て、ウマイヤ家による世襲王朝が創始され、帝都がシリアのダマスカスへ移った時代でした。ダム建設には、旧都で聖地であるメディナ周辺のインフラを整備することで、現地の人々の不満や反発を抑え、聖地の守護者としての権威を誇示する意図があったと考えられています。このダムも世界遺産暫定リストの一つになっています。

写真4.ムアーウィヤのダムの模型の展示

ちなみにこの展示の英語の説明文には、「Built in the mid 1st century AH」と書かれていました。おや、1世紀半ば?7世紀ではなかったのか?と思われたかもしれません。実はこの「AH」はイスラム暦(ヒジュラ暦)を指し、ムハンマドがメッカの有力商人から迫害を受けてメディナへ移り、最初の共同体を築いた西暦(AD)622年を元年とします。つまり、イスラム暦の1世紀半ばは西暦の7世紀後半にあたります。西暦はキリストの生誕・降臨が基準ですね。東アジアには日本の元号をはじめ、様々な年の数え方があります。それぞれの文化が何を重視しているかがよくわかります。それにしても、AHをよく見ていないと西暦と勘違いしてしまいそうです。

写真5.古代都市遺跡アル・ウフドゥード(Al-Ukhdood)で発見された巨大石臼の展示と復元イラスト。背景にはラクダに牽かせて製粉・圧搾を行う当時の様子(推定)が描かれている。交易路は展示の地図を基に加筆。

3つ目は、ラクダを動力とした直径1.5〜2mにおよぶ巨大な石臼です(写真5)。これが使われていたのは今から1500〜2500年前頃、発見された場所はアラビア半島南部のナジュラーン(Najran)にある古代都市遺跡です。主に穀物(小麦など)の製粉や、特産のナツメヤシ(デーツ)などの圧搾に使用されたと考えられています。このような巨大な石臼を回転させるには人間の力だけでは不可能なため、ラクダなどの家畜が動力として使われました。また、この生産規模は、単なるコミュニティの自給用にとどまらず、アラビア半島を縦断し、地中海世界やペルシャ、エジプトへと向かう隊商の食糧を支えるための一大拠点、いわば「産業用食糧加工プラント」だった可能性を示しています。

ちなみに、かの中尾佐助は、中国においてロバなどの家畜がローラーを回転させて製粉する「輾(ヅァン)」と呼ばれる装置が登場するのは後漢の頃(西暦1〜2世紀頃)だと述べていますが(中尾2005: 258-261)、アラビア半島ではそれと同じかやや古い時代から、ラクダが重要な動力の任を担い、ヨーロッパとオリエントの社会経済を支えていたのかもしれません。

歴史の教科書ではローマやササン朝といった大帝国が注目され、ともすればアラビア半島は「空白の地」のように想像してしまいます。しかし、実際には豊かで高度な文化、技術、経済ネットワークが発達していました。隊商が運んだこの地の乳香や没薬は、古代エジプトやローマ、ササン朝の宮廷で重宝され、アラビア半島に莫大な富をもたらしました。こうして蓄えられた富と部族を超えた人々のネットワーク、そして貧富の差の拡大は、その後のイスラムの登場、イスラム世界の飛躍とも無縁ではありません。

参考文献
UNESCO World Heritage Convention Tentative Lists: The Rural Cultural Landscapes of Sarawat Mountains. https://whc.unesco.org/en/tentativelists/6640/
UNESCO World Heritage Convention Tentative Lists: Water Management in Saudi Arabia: The Ancient Dams. https://whc.unesco.org/en/tentativelists/6637/
中尾佐助2005. 『中尾佐助著作集 第Ⅱ巻 料理の起源と食文化』北海道大学出版会.

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