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昨年11月、寧夏回族自治区の銀川に行ってきました。岩に描かれた絵、いわゆる岩画を調査するためです。岩画の分布から黄土高原と漢代のシルクロードを結ぶ「交通路」を探る旅が始まります。
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少し前のことになりますが、昨年11月、コロナ禍明け2回目の中国調査に行きました。今回の旅の目的地は黄土高原の西北端、寧夏回族自治区銀川市です。寧夏は、回族すなわちイスラム教徒が住む地区ですので、トランジットで寄った上海空港では、「お前らは、なんでそんなところへ行くのか」としつこく説明を求められました。今回の目的は賀蘭山の岩画を見ることでしたので、その岩画の画像を検索して必死にいくつも見せて、ようやく通過。
銀川の訪問は4回目ですが、今回はかつて行った西夏王陵も沙坡頭という黄河のリゾートにも寄らず、ただ、賀蘭山と黄河沿いに分布する岩画を見に行くことを目的としました。岩画とは、まさに岩に刻まれた絵画で、賀蘭山岩画には、2万点以上の鹿・馬・犬、山羊、トラなどの動物、古代人の符号などが描かれ、古代の黄土高原の人々の生活や自然環境を知る手がかりになります。調査当日は2ヶ月ぶりの雨で、岩画の絵がよく見えなかったのは残念でした。

今回、銀川に行ったのは、昨年2月のサウジアラビアでの岩画調査に参加したことがきっかけでした。そこでは、惠多谷雅弘さん(東海大学)が衛星データを活用して数多くの新たな岩画を発見し、その分布をつなぐと古い交通路を復元できるということがわかりました。そこで、衛星を使った研究方法を中国でも応用しようということになりました。漢の武帝の時代、将軍霍去病(かくきょへい)は黄土高原からゴビ砂漠へと出陣し、匈奴との戦いに打ち勝ち、「シルクロード」を切りひらきました。

今回は、黄土高原とゴビの間にある、中国で最も有名な賀蘭山岩画を研究のターゲットにしました。試みに岩画の分布を見ると、賀蘭山東側の15の渓谷出口で岩画群が発見されており、その谷筋は西側へとつながっており、そこを通って古代人が賀蘭山東西を行き来したと考えられます。岩画の時代の判定は難しいのですが、新石器時代から明代まで継続的に利用されていたと思われますので、漢代も使われていたと考えられます。賀蘭山を越えて、西へ行くと内蒙古自治区アラシャン盟に入り、荒涼としたゴビ砂漠(トングリ砂漠)が広がっています。このゴビ砂漠では、漢王朝と匈奴の戦争が繰り広げられました。

もうひとつ、黄土高原西部からゴビ砂漠へ行くルートが、賀蘭山の西南の黄河本流を南から北へ渡る道でした。そこにも岩画が見つかっています。銀川市の西南150kmにある山中には石馬溝岩画があります。調査当日は雪が降っていて、山上の現地までたどり着けませんでしたが、河川沿いの谷間にあることはわかりました。続いて、北へと進み、黄河を越え、巨大な岩画が発見された大麦地岩画へと向かいました。ところが、なんと、ここは進入禁止。雨と雪と鉄格子に阻まれ、いつもどおり「困難な」中国調査でしたが、今回は「良し」としたいと思います。
ところで、賀蘭山の西側でラクダの群れを見ました。ゴビ砂漠の真ん中の曼徳拉山(マンダラ)岩画にはアラシャンフタコブラクダが描かれた岩が発見されています。一方、賀蘭山の東の岩画からラクダの絵は見つかっていません。そうなると、賀蘭山の東にはラクダはいなかったのでしょうか。黄土高原には、まだまだ、わからないことがたくさんあります。
※今回のお話を含め、近年、私も参加している研究プロジェクトの成果として日中友好会館美術館(東京・飯田橋駅下車)にて「宇宙考古学から見たシルクロードの西と東」展(7月18日〜8月16日)を開催します。くわしくは、日中友好会館美術館のホームページをご覧ください。なお、7月25日には「失われた漢代「シルクロード」をもとめて~衛星写真・岩画・刻石から」と題した私の講演会(無料)も実施しました。







